静岡県賀茂郡河津町の「河津桜」。 |
|
|
|
|
|
|
 |
伊東市街にて |
この場所確か「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビが放送した特番)で使ってたような気がするのだがどうだろう。
その後駐車場や遊覧ヘリのヘリポートにも使ってたような。
平成13年7月オープンの伊東マリンタウン。 |
 |
|
|
1989年7月に伊東は群発地震があって、当時伊東市内を基地としたフィールド取材に入っていました。
同月13日には伊東沖の手石海丘で海底噴火があった。
この辺りは群発地震が何回もおきている場所。
マグニチュードは小さくても直下で浅い地震の揺れは、4トン以上あるATVの取材車を軽々と跳ね上げるように突き上げた。
ひとたび群発地震が発生すると、旅行者激減など観光へのダメージもあり、地域経済に深刻な影を落とす。
|
 |
 |
|
災害つながり、ということで・・・
こちらは雲仙普賢岳。自然の力にはかないません・・・ |
立ち入り制限地域の張り紙。
ここは避難指定地域内だ。 |
 |
 |
|
会津磐梯山の臨時火山情報を受けて映像取材に向かうATV中継車(*1)の車内から撮影。
警戒中の福島県警パトカーを押さえる。結局被害が出るような大事には至らずホッと一安心。
|
その他いろいろあちこち飛びました。
阪神、中越、十勝、宮城などの地震や北海道の火山もいくつか行きました。
ある時は北海道で墜落した航空自衛隊のRF4E(*2)の件も・・・別件で北海道にいましたので。
北海道は広いので移動に時間がかかりました。 |
|
|
| (*1) |
現場業務に必要なカメラなどの撮影収録機材と発電装置、無停電源装置、制御機器、各種ケーブルなどを搭載した専用車両。
離れたカメラクルーに中継給電するためのロングケーブルや中継ボックスなども装備。
7人のクルーが外部と遮断された状態(無補給無支援)でも取材活動ができるよう、最低でも一週間分(通常はそれ以上搭載)の米や乾物、レトルト、肉、野菜などの食材を保管庫に収納。調理用具や飲食セットも収納庫に入っている。水はタンクに清水と雑用水を搭載。
主燃料タンクのほか予備燃料タンクもあり、満タン無給油でおよそ1000km(計算上なら1040km)走行が可能で、発電だけならフルでおよそ65時間運用できます。(実際は連続フル発電はないですから100時間以上発電可能。蓄電用バッテリーや太陽光発電、場合によっては電源車との連携・電気供給などの併用もしますし、第一電気の節約もしますから・・・ディーゼル潜水艦と似たような感じ)
当然就寝スペースもあり寝具も備品庫にあって定点観測などの長期運用にも活躍。オウム事件でも連携・監視に使用した。
ちなみに中継車は車検証の車体の形状欄に「放送中継車」と記載されます。
特種車両になるので88ナンバーとなります。 |
|
 |
 |
車載カメラ運用に就くこともあった
高さ3.2mを活かして路線の映像データ化にも使用。
80km/hでもぶれにくいよう特殊な架台とダンパー、固定装置を使用した。(設計・製造・改造工事全てATV)
これに合わせて車体や足回りも改良した。 |
|
|
|
重量10kg以上のカメラをブレさせず、かと言って超精密機器だから衝撃は与えられない。
つまり動かないようただ固定すれば良い、などという単純なものでないことは想像していただけるだろう。
架台や取り付け金具など合わせれば30kg以上の質量をもつ物体が屋根上に支持されている。
適度な弾性と衝撃吸収、しかしブレは最小限。まあ一般の方にはピンとこないかもしれませんが。 |
|
|
|
|
|
|
| (*2) |
1994年10月5日航空自衛隊RF-4E型偵察機が、地震に伴う偵察任務遂行中に長万部町静狩峠付近に墜落、乗員2名が亡くなった。 |
|
RF-4Eと言えば・・・
1977年9月27日、神奈川県厚木基地を飛び立ったRF-4E型米軍偵察機が横浜市緑区荏田町(現在は青葉区荏田北)の住宅街に墜落。
民家が全焼し3歳と1歳のお子さんが死亡。母親で当時26歳の女性は、重度の火傷で闘病生活となったが、事故からおよそ4年後、我が子の待つあの世へと旅だった。
米軍機搭乗員2名は墜落前にパラシュートで脱出し無事だった。
港の見える丘公園に隣接するフランス山に愛の母子像がある。 |
日本でおこなう聖火リレー、何事もなく無事に運ぶことを願っています。 |
   |